おやじのせなか

 「おやじのせなか」という新聞のコラムで、フォトジャーナリストの安田菜津紀さんが幼稚園の頃の記憶を書いている。
 その日はないことに父の膝の上で絵本を読んでもらっていた。子供にとってはかけがえのない思い出であるはずなのに、幼い私は、つっかえつっかえしてまるで上手く読めないでいる父親に激しく苛立っている。
 「もういい! お父さん、日本人じゃないみたい!」
 父が、実は在日コリアンで、貧しくて十分な教育を受けることができなかったのだ、と知ったのは安田さんが高校2年生の時。その3年前に父は亡くなってしまっていた。
 決して嫌いなわけではないのに、取り返しのつかない言葉を投げつけてしまうといった記憶は誰にでもあるものなんだな、と胸を衝かれた。子供の言葉だと言えばそれまでだが60年経ってもその棘は自分自身をチクチクと傷つけることを、隠居も知っている。自分でさえ辛いのに、言われた本人はどれほどの思いだったろうか。ただただコウベを垂れるのみである。
 と書いた後で『トンイ』を見ていたら、彼女もまた涙を浮かべて言う。「私は、私の望み通りにさせてくれない父に向かって、大嫌いだと言いました。その時は知らなかったのです、それが父との最後になることを。」国を超えて、親になること、子であるということはタイヘンなんだな、と心に沁みたことでした。
 
 

ボーダー二つの世界

 1日たっても異界からもどってきたような感覚が抜けない、こんな映画は初めてである。まったく予備知識がないまま「ボーダー 二つの世界」(2018)を見た。正解だった。あらかじめ知っていたら初めから見ようとは思わなかったろう。

 旅客が歩いてくる長い通路の端っこに税関の制服を着たティーナが立っている。その風貌からどうしても目が離せない。ああ特殊メイクなのか、と納得するまで頭が混乱し続けている。するといきなり、彼女は鼻をひくひくさせながら「そこの人」と声をかける。

 「そこの人」はそれぞれに”わけあり”である。必ず何か疚しいことを抱えている。罪悪感や、恥や、邪悪なものたちから立ち上るネガティブな匂いを、彼女は麻薬犬のように感知することができるようなのだ。

 そしてその特殊能力をかわれて、警察と協力しながら犯罪に立ち向かっていくという筋立てはまるでサイキック・ミステリーだが、原作があの「ぼくのエリ 200歳の少女」を書いたリンドクヴィストさんである。いつのまにか話は既視感ゼロの、まったく予想だにしない方向へと進んでいく。

 もう逃れることはできない。ティーナもろとも僕らも、「ボーダー」を超えて激しく流されていくことになるのだが、映画なんだから途中で降りることもできたはず、と思うだろう。でも冒頭、彼女の顔を不躾なほど見つめてしまった僕にはリタイアする権利がないような気がして、最後まで見てしまったんだよなぁ。

 第71回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門グランプリ作品。

 

母の引っ越し

 長く一人暮らしをしていた母が、少しずつできないことが増え、心細さを訴えるようになり、ついには介護付きホームに入居するに至ったのは、95歳の時でありました。ところが建物の老朽化につき、少し離れた場所に新築移転するとのこと。いやこれはたいへんなことになった、と慌てているのは古希近い息子だけで、本人はたいして苦にしていない様子。コロナで月に2回しか会えなかったのが、引っ越しの荷づくりやら荷ほどきやらで久々に濃密な時間が持てるのを喜んでいるふしがある。こちらが大汗かいて作業している横でとにかくしゃべりまくる。ほとんどがダメ出しである。オレは中学生か。

 介護認定の時、調査員とあまりにおしゃべりがはずむので、なかなか要介護がもらえなかった。三度の圧迫骨折で腰が曲がり、常時痛みを訴えるようになってからはようやく支援レベルから抜け出せたが、口だけなら隠居(私)の三倍は達者なのだ。

 土曜日、無事に本人の移動も済んで「今日はお弁当だったんですが、きれいに全部召し上がりましたよ」と早くも変わらぬ日常が始まっているが、こちらは本日、電話工事と荷ほどきの続き、水曜は住所変更の手続き、来週は介護用椅子の搬入、とまだまだやらねばならないことが控えている。その度にダメ出しをくらうのは、元気な証拠だとはいえ、いささか気が重いかもだよ。

 

花子と先生の18年

 歳を追うにつれて共感力をどんどん失いつつある隠居も、時にどうしたのかと思うほどエモーショナルになってしまうことがある。フジテレビ「ザ・ノンフィクション」の『花子と先生の18年〜人生を変えた犬』を見ているときのこと、何度も声をあげて嗚咽しそうになる自分に驚き、俺ってそんなに犬好きだったっけと自問してしまった。
 杉並区にある「ハナ動物病院」には、太田先生の愛犬・花子の名前がついている。保健所からやってきた花子がいなければ、大学に「犬部」というものを作ることもなく、この病院を開くこともなかった。まさに先生の ”人生を変えた”犬なのである。
 獣医になって多くの犬を救うためには、手術の練習台になってくれる1匹を殺すことが避けられない。何とかすべての犬を救う道はないのか、と若者は悶々とする。そこへ殺されるために引き取られてきたのが、花子だったのである。さあそれから、殺処分される動物たちを救う太田先生の無償の活動が始まる。いやーいつも穏やかな先生のやりきれない憤懣にいたく共感し、思わず『犬と猫の向こう側』に『犬部』の本まで買ってしまいましたよ。
 とここまできて、そういえば小さい頃わが家にも犬がいて、彼の不慮の死に号泣したことなどとっくに忘れていたのに気がついた。だから実際の保護犬を使った映画『ベラのワンダフル・ホーム』にもしっかりやられてしまった。最新の技術を使ってここまでみごとに "はじめてのおつかい" を見せられると、これは犬好きでなくてもたまらんでしょう。
 

坂之上洋子さん

 自分の気持ちを見失ったとき指針にしたいと思える人に、坂之上洋子さんがいる。

 始まりは、ブックオフでたまたま見つけた岩波ジュニア新書『なんにもないけどやってみたープラ子のアフリカボランティア日記』だった。著者は「栗山さやか」さん。

 109のショップ店員だったプラ子こと栗山さやかが、なぜアフリカでボランティアをすることになったのか。そのきっかけを作ったのが坂之上洋子さんの本『犬も歩けば英語にあたる』だったのだという。それを読んだプラ子は一念発起、未知の世界へ飛び出し、アフリカと出逢い、ボランティアを止められなくなり、今もまだモザンビークに根を下ろしている、というこの上なく数奇な実話。たった1冊の本がガチで人生を変えることもあるのだと、改めて驚かされる。

 ブログ「プラ子旅する。ーまだアフリカです」には今も胸のつまるような現実と闘い続けるぶれないプラ子がいる。そして、今も自分の本が彼女の運命を変えてしまったことを忘れず、寄り添い続けるぶれない洋子さんが存在する。そう思うだけで、自分ごとき隠居がやすやすと凹んではいられない、申しわけない、という気になるのですよ。

愛と銃弾

 イタリアのアカデミー賞で作品賞など5部門制覇という鳴り物入りの映画『愛と銃弾』に、2度めの挑戦。ネットでも、唐突過ぎるミュージカルと主人公の身勝手さにはついていけない、という評があるように、私も一度はしっかり挫折した。しかし今回は面白かった。なにしろ監督があの『宇宙人王さんとの遭遇』のマネッテイ・ブラザーズである。こちらの体調を選ぶのである。
 宇宙人がなぜ中国語を話すのかというと、地球上で最も多くの人が喋っている言語だから、という一応筋道のたつ設定になっているのだが、最後はあまりのオキテ破りに口をあんぐり。いやはやこれほど人を食った映画もなかろうが、なぜか妙に「ワンさん」に共感してしまっている自分がいて、まんまと術中に嵌められたことに気づく。『愛と銃弾』もまた、目をつぶったまま嵌められて気持ちの良くなる映画だと思えば、ありえない場面で始まるいきなりのミュージカルにも大人笑いできる、んじゃないでしょうか。

マドンナと出会う

 映画『ジェイソン・ボーン』シリーズのスピンオフ・ドラマとしてTV放送された「トレッドストーン」。ここで訓練された”セミ”のひとりとして登場したのが、ハン・ヒョジュという女優さんとの初めての出会いでありました。
 北朝鮮に住む平凡でおとなしい主婦が、ひとたび”目覚める”や戦闘能力抜群の暗殺者に転じるというちょっとワクワクする展開。はたして結末はどうなることかと楽しみに迎えた最終第10話は、伏線回収どころか驚きの新展開、ウームこの終わり方ってつまりは〈シーズン1〉だったってことなのね、と納得しようとしたところが、この続編は作られないまま終結したらしく、確かにセミを多く抱えすぎてバラけがちな展開ではありました。それにしても残念。
 しかしハン・ヒョジュさんの清楚な美しさは忘れがたく、調べてみると、韓国の大ヒットドラマ「トンイ」のヒロインとして本国では ”国民的清純派女優” なんだとか。いや知らぬは亭主ばかりなり。2014年「監視者たち」2015年「ビューティインサイド」の2作はまさに彼女のための映画といってよく、必見。とにかく美しさに見惚れます。
 相葉雅紀主演の日本映画「デビクロくんの恋と魔法」は典型的な”綺麗なお姉さん” 役で、隠居にはまったく物足りなかったけれど、2017年のドラマ「Wー君と僕の世界」は堪能いたしました。甘いラブストーリーかと思いきや、二転三転七転八倒のアクロバット脚本には吃驚。いやー、これはこれで見る価値ありなのかもしれない。
 現在は全60話の「トンイ」に挑戦中。しっかり沼にハマっております。
    古希近しマドンナ見つくる幸せよ 無粋