ボーダー二つの世界
1日たっても異界からもどってきたような感覚が抜けない、こんな映画は初めてである。まったく予備知識がないまま「ボーダー 二つの世界」(2018)を見た。正解だった。あらかじめ知っていたら初めから見ようとは思わなかったろう。
旅客が歩いてくる長い通路の端っこに税関の制服を着たティーナが立っている。その風貌からどうしても目が離せない。ああ特殊メイクなのか、と納得するまで頭が混乱し続けている。するといきなり、彼女は鼻をひくひくさせながら「そこの人」と声をかける。
「そこの人」はそれぞれに”わけあり”である。必ず何か疚しいことを抱えている。罪悪感や、恥や、邪悪なものたちから立ち上るネガティブな匂いを、彼女は麻薬犬のように感知することができるようなのだ。
そしてその特殊能力をかわれて、警察と協力しながら犯罪に立ち向かっていくという筋立てはまるでサイキック・ミステリーだが、原作があの「ぼくのエリ 200歳の少女」を書いたリンドクヴィストさんである。いつのまにか話は既視感ゼロの、まったく予想だにしない方向へと進んでいく。
もう逃れることはできない。ティーナもろとも僕らも、「ボーダー」を超えて激しく流されていくことになるのだが、映画なんだから途中で降りることもできたはず、と思うだろう。でも冒頭、彼女の顔を不躾なほど見つめてしまった僕にはリタイアする権利がないような気がして、最後まで見てしまったんだよなぁ。
第71回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門グランプリ作品。
母の引っ越し
長く一人暮らしをしていた母が、少しずつできないことが増え、心細さを訴えるようになり、ついには介護付きホームに入居するに至ったのは、95歳の時でありました。ところが建物の老朽化につき、少し離れた場所に新築移転するとのこと。いやこれはたいへんなことになった、と慌てているのは古希近い息子だけで、本人はたいして苦にしていない様子。コロナで月に2回しか会えなかったのが、引っ越しの荷づくりやら荷ほどきやらで久々に濃密な時間が持てるのを喜んでいるふしがある。こちらが大汗かいて作業している横でとにかくしゃべりまくる。ほとんどがダメ出しである。オレは中学生か。
介護認定の時、調査員とあまりにおしゃべりがはずむので、なかなか要介護がもらえなかった。三度の圧迫骨折で腰が曲がり、常時痛みを訴えるようになってからはようやく支援レベルから抜け出せたが、口だけなら隠居(私)の三倍は達者なのだ。
土曜日、無事に本人の移動も済んで「今日はお弁当だったんですが、きれいに全部召し上がりましたよ」と早くも変わらぬ日常が始まっているが、こちらは本日、電話工事と荷ほどきの続き、水曜は住所変更の手続き、来週は介護用椅子の搬入、とまだまだやらねばならないことが控えている。その度にダメ出しをくらうのは、元気な証拠だとはいえ、いささか気が重いかもだよ。
花子と先生の18年
坂之上洋子さん
自分の気持ちを見失ったとき指針にしたいと思える人に、坂之上洋子さんがいる。
始まりは、ブックオフでたまたま見つけた岩波ジュニア新書『なんにもないけどやってみたープラ子のアフリカボランティア日記』だった。著者は「栗山さやか」さん。
109のショップ店員だったプラ子こと栗山さやかが、なぜアフリカでボランティアをすることになったのか。そのきっかけを作ったのが坂之上洋子さんの本『犬も歩けば英語にあたる』だったのだという。それを読んだプラ子は一念発起、未知の世界へ飛び出し、アフリカと出逢い、ボランティアを止められなくなり、今もまだモザンビークに根を下ろしている、というこの上なく数奇な実話。たった1冊の本がガチで人生を変えることもあるのだと、改めて驚かされる。
ブログ「プラ子旅する。ーまだアフリカです」には今も胸のつまるような現実と闘い続けるぶれないプラ子がいる。そして、今も自分の本が彼女の運命を変えてしまったことを忘れず、寄り添い続けるぶれない洋子さんが存在する。そう思うだけで、自分ごとき隠居がやすやすと凹んではいられない、申しわけない、という気になるのですよ。