おやじのせなか

 「おやじのせなか」という新聞のコラムで、フォトジャーナリストの安田菜津紀さんが幼稚園の頃の記憶を書いている。
 その日はないことに父の膝の上で絵本を読んでもらっていた。子供にとってはかけがえのない思い出であるはずなのに、幼い私は、つっかえつっかえしてまるで上手く読めないでいる父親に激しく苛立っている。
 「もういい! お父さん、日本人じゃないみたい!」
 父が、実は在日コリアンで、貧しくて十分な教育を受けることができなかったのだ、と知ったのは安田さんが高校2年生の時。その3年前に父は亡くなってしまっていた。
 決して嫌いなわけではないのに、取り返しのつかない言葉を投げつけてしまうといった記憶は誰にでもあるものなんだな、と胸を衝かれた。子供の言葉だと言えばそれまでだが60年経ってもその棘は自分自身をチクチクと傷つけることを、隠居も知っている。自分でさえ辛いのに、言われた本人はどれほどの思いだったろうか。ただただコウベを垂れるのみである。
 と書いた後で『トンイ』を見ていたら、彼女もまた涙を浮かべて言う。「私は、私の望み通りにさせてくれない父に向かって、大嫌いだと言いました。その時は知らなかったのです、それが父との最後になることを。」国を超えて、親になること、子であるということはタイヘンなんだな、と心に沁みたことでした。