6月20日に亡くなったので21日の朝刊だろうか、天声人語に美輪明宏氏の話が出ていた。
〈自分らしくいればいるほど浮いてしまうのは、どうしたら良いでしょうか〉
人生相談コーナー「悩みのるつぼ」で、20代の女性の相談である。
〈誰に恥じることもありません。浮いてしまう? 結構なことです〉
〈あなたはそれでいいのです〉
毅然とした美輪さんの回答に、実は隠居もひどく励まされた。
この歳になっても、うじうじと弱気になる自分がいるが、何だそんなもの、俺は俺でいいんだ、と腹を括れば別に怖いものなどありはしない、はずなのである。
仕事をしている時は、つっぱってつっぱって、ちっぽけな自分を守り続けるしかなかった。今思えば必要以上に自分を強く見せることにこだわっていたようにさえ思える。しかし、早々に退職しちまえばもうそんなものは必要ない。弱い自分、ありのままの自分で、飾らず無理をせず、生きていこうと心に決めた。
だから弱気=自分でいいのである。でも時々、本当にそれでいいのか、そんなことでよろしいのか、と自分の中で囁く声がいる。そいつが問題なんだよなあ。自分の中に巣食っている世間体普通幻想、モラハラ気質。こんな自分にさえ「男のくせに」と呟く黒子がいる。でも今さら強がって、見栄を張って、違う自分のまま生きたくないじゃないか、と葦穂のように揺れている自分にもこの言葉は深く刺さっている。
というのも娘から突然、離婚と再婚の報告があって、思いがけなく心が千々に乱れる体験をしたからである。
不倫のトラブルならまだしも、離婚・再婚なんて今やそのへんにいくらでもころがっている話題だし、何ならそっちのほうが自然な生き方だろうぐらいに考えていたふしありなのだが、いざ自分の娘のこととなると、思ったよりボディに効く。出てくる言葉はまさに世間体、普通幻想、モラハラ用語。なんてつまんない親なんだろう。こんな時に子供に寄り添ってやれないなんて。
自分へのもどかしさを怒りでごまかさず、せめてフラットに話を聞いてやりたい、と思えるまでに乗り越えなければならないことがあまりにも多くてへとへとになってしまい、しかと受け止めてやれる余力のないまま、娘と会い、話をした。たいした話はできなかった。親としてただの老人でしかないことが切なかった。
でもこの地球上で、誰か味方になってやれるとしたら自分たちしかないんじゃないかと思えばどんなに無力であっても信じていてやるしかない。
おそらくこれから先がどうなるかは、娘が一番わからず苦しいはずなのに、離婚したらどうなるの? 再婚したらどうなるの? 子供たちはどうなっていくの? と、ふつつかな親はわからない「これから先」のことばかりを問いただしたがる。そらたまらんわなあ。
だから、同じ不安を一緒に抱え込んで〈娘に幸あれ〉と祈ることしかできない、いやそれが親の務めなのかも、とようやくスタートラインにつくことができたような気がしている。
そうだよ、誰に恥じることもない。