朝の散歩

 退院して2か月もたつとさすがに体重は順調すぎるほどの回復をみせ、何とかしなければと焦る日々。このごろようやく気温も適正になってきたので、朝の散歩を始めることにした。
 朝の光を浴びると、体内時計がリセットされて睡眠に効果的だという。前よりはよく眠れるようになったというものの、4時前に起きることも珍しくない隠居生活だ。ひんやりした空気を胸いっぱい吸いながら朝日を浴びて散歩するというのは、なんとも美しく健康的ではなかろうか。
 ところが初日からいきなり現実を突きつけられることになった。
 家の前の坂道をくだって散歩コースに出たとたん、煙草の吸殻に、飲みかけの珈琲の容器である。マスクが落ちているのは時節がらだろうが、顔につけているはずのマスクがかくも簡単に落下する意味がわからん。とボヤきながらのお散歩は、美しくも何ともないのである。
 もう一度坂道を逆もどりして、ポリ袋と金バサミを手に再び散歩コースに突入する。もはや緑を目に焼き付けるとか、鳥の声に耳を傾ける、というレベルではない。ボランティアとはいえしっかりお仕事モードで、とてもほっこりした老人の散歩姿とは言えまい。
 もちろんそれなりに仕事の充実感はあるわけだが、なにか最初の思惑とはズレている。でもそれが自分といふものならしかたあるまいと、この歳になったら思うべきなんだろうか、と隠居は思案するばかりである。