ブログのはじまり

 2020年5月の日録から

 もともと”毎日が日曜日”なので、自粛前と後でそう生活に変化があるわけではない。なのに日々の鬱々ムードは隠居の心もぐるぐると巻き戻して、普段は聞かない大昔のフォークなんぞを引っ張り出させたりする。早川義夫の「ラブ・ゼネレーション」を今さらながら買ってしまったのも、西岡たかしや遠藤賢司や、はては禁断の「友川かずき」にまで手を出してしまったのもやっぱりそのせいなのだ。で、少し気分を変えるために、この「投稿」を始めることにした。友達がいないので無観客だけれど、書いている間は他のことをすっかり忘れることができる、のが何とも心地よい。
 ところが「投稿を編集」ボタンがあることに気がついたのがいけなかった。仕事がら、ひとつの単語から句読点まで、いつまでも気になってしかたがない。初稿には初稿の良さというものがあるのだとわかってはいるが、一度手を入れると、そのうちに痒くないところまで搔き始めるようになる。まさに無限ループ。うーんそれもまた楽しい、のかもしれないのだが。
 自分でも忘れていたがこれがブログのはじまり、最初はFacebookだったが、ご多分に漏れずきっかけはコロナなのだった。あれから3年がたつ。
 長い間放置していたそのFacebookから「いいねがついた」という連絡が届いて驚いた。誰かとつながる目的なんぞではなかったくせに、はじめての「いいね」が何とも嬉しい。しかも「記事を読んでお友達になりたい」というではないか。
 どんな粋人かとのぞいてみて、再び吃驚。台北大学出身だというその女性は驚くほどの美人さんで、しかも「独身」だという。ふふん、だからといって隠居がこのように狼狽する必要はないわけだが、写真が並んでいるだけの中身のないFacebookはいかにも急ごしらえで、いやーどう見てもこれはトラップでしょ、と疑うことを知らない隠居でもさすがに脳内警報が鳴り響く。こんなものにひっかかってちゃいかんよなあ。
 しかし世の中には美しい人がいるもので、今も妙などきどきがおさまらないのだから男ってだめだよねえ。