骨伝導

 耳が悪くなってから音楽を聞く楽しみを失ってしまった98歳の母に、骨伝導イヤホンはどうだろうと思いつく。調べてみると、難聴にも種類があるらしく、骨伝導の効果のあるなしは人によるらしい。ならダメ元でやってみよう、というのがこの頃すこうしアクティブになっている隠居のスタンスだ。

 きっかけは新聞の広告に出ていた「大人のための抒情愛唱歌というCD全集である。母世代の好きそうな曲が並んでいるのでぜひとも聞かせてやりたい。すると「非常に良い」評価の中古品が半額以下の4000円ほどで見つかったので、思わずポチッとやってしまった。これでもう前に進むしかない。

 あれこれ悩んだあげく、どう見ても中国製の格安の骨伝導イヤホンと、高齢者でも扱いやすそうなボイストレックを選んで注文し、CDを古いiMacでmp3に変換しているうちに、待望のボイトレが到着。

 ワクワクしながら、早速、「大人のための抒情愛唱歌」のmp3を入れておいたSDカードを差し込んでみる。ところが何度やっても「ファイルがない」というのである。いや君がmp3対応だということは事前に確認したし、前に使っていたICレコーダーは他のパソコンで充填したカードもちゃんと読み取ってくれましたよ。もしかしてこのご時世に、「本機で録音したものしか聞けない」という仕様なのかい、とボー然とする。

 先日、2階の部屋を整理していたら、母が使っていたらしいCDプレイヤーが出てきた。なんとタイミングのよろしいことか。だったらボイトレで「他の機器の音声を録音する」という手が使えるかもしれない。

 外部録音には別売りのコネクティングコードKA333を使えと書いてあるが、とりあえず手元にあったオーディオコードを使って、ボイトレのマイクジャックとCDのイヤホンジャックをつないでみる。手動の録音なんてカセットテープ以来なのでどきどきする。

 当然のことなのだが、CDを丸ごと録音すると、ファイルは1つになる。CD1枚に18曲入っているのだがこれが団子になるわけで、ボタン一つで次の曲を聞くということはできなくなるが、辛抱してもらおう。テープのように早送り・早戻しはできるし、CD単位なら切替もひと押しで可能だ。

 ところが録った音をイヤホンで聞いているとどうも違和感がある。もしかして右・の・方・の・音・が・出ていない? 

 調べてみると、「モノラルを両耳イヤホンで聞くと左からしか音が出ない」んだそうな。いやこれはおそらく初心者あるあるなんだろうが、この歳まで知りませなんだ。でも、モノラル→ステレオの変換プラグというのもあるそうで、必要なら買ってみよう。

 翌朝、正接続コードKA333が届く。モノラル用プラグも付いているが、ボイストレックはステレオ録音・ステレオ再生なので、とりあえずそのまま挿し込んで録音してみる。するとなかなか良い音が、しかも両耳から聞こえるではありませんか。ということは昨日使った手持ちのコードではステレオ録音できなかったということなのね。やっぱり純正様様です。

 問題の骨伝導イヤホンは、おそらく中国からの発送ゆえ月末まで届かない。5枚のCDをボイトレに録音したら、マニュアルを手作りしながら楽しみに待つことにいたしましょう。

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 待っている間もいろいろありました。

 4枚めのCDを録音しているとき、たまたまなのだがイヤホンで傍聴してみるとどうもおかしい。最後の何曲かで音飛びしているではありませんか。だから格安だったのかと納得してはいかんのだろうが、CDごとの録音しかできないのでこの1枚はあきらめることにして、歌詞カードもCD4枚分だけ作成。そのうちに骨伝導イヤホンが到着した。

 骨伝導イヤホンのほとんどはワイヤレスなので、充電やらセッティングやらが必要になってくる。母に贈るには、差し込むだけの有線で、面倒な充電作業の要らないものを選ぶしかない。選択肢はほとんどないのに、アマゾンには例によってどう見ても同じ写真で値段がまちまち、という商品が並んでいる。これって困るよねえ。

 取説がないので、写真を頼りにイヤホンをつけてみる。当てる場所によってかなり聞こえ方は違うが、音量最大でも大きいと感じないのは骨伝導だからだろうか。何とも微妙な感じ。「正しい骨伝導の聞こえ方」がわからないので、うーんこんなものなのかな。これで音楽が楽しめるかどうかは、母の耳次第である。

 これほど根を詰めたのは久しぶりのこと。「夢中」というアドレナリンが血管を駆け巡って、楽しくなかったといえば嘘になる。その代償として、肩凝りが歯にまであがってきて老体をサイナむのはしかたあるまい。そうそう、この充足感に踊らされて ”仕事” を続けてきたんだよなあ、と妙な懐かしさを感じてしまった。