コロナ

 遠いニュースに思っていたコロナが家の中で発生してはじめて、これは他人事ではないと思えるんだよねえ、なんという共感力のなさ。

 昼間から珍しく家内が横になりたいというので様子を見にいったら、やけに顔色悪く、熱を測ると38度を超えている。もしやとこの日のために用意した簡易検査キットを持ち出してみるが結果は陰性でほっとするも、念のためにかかりつけ医で診てもらったら、やっぱりコロナだというじゃないか。

 いちやく濃厚接触者になった隠居は、日々の鼻うがい習慣が効いているのか、折々に体温を測ってみてもいつまでも平熱である。しかしいつ発症するとも限らないので、自ら半隔離の生活を送っている。

 タイミングよく新聞では、津村記久子さんが「なったら本当に嫌なものだとだけは確実に言えます」と書き、テレビでは1年半たっても後遺症が残る人のニュースをやっていて、やはりインフルエンザとは格が違うようだ。津村氏いわく「風邪はこんなに厄介で、まとわりつくように嫌らしくて、人の体を症状でもてあそぶような気持ち悪い性格はしていない」。

 旅行が来週に迫っていることを案じて、家内は電話でせっせと延期の手配をしている。だめなときはしゃーないと簡単にあきらがちな隠居は、こういうときちっとも役に立たん奴だなあと複雑な顔で腕組みするばかりである。

朝の公園にて

 東京から帰った翌朝、ひさびさのクリーン散歩である。

 さすがに1周間もたつと道端にゴミは点在し、公園の荒れようもいつも以上だが、今日は家を出るのが遅かったせいか、人の顔ぶれがすっかり違っている。

 いつもならバットを持った父と子の早朝特訓に、犬の調教に余念のない御婦人に、なぜか朝からベンチで居眠りをする老夫婦にと、まだ朝の静けさは保たれているのだが、今日は小径を歩いている時から、犬の鋭い鳴き声に混ざってけっこうなざわめきが響いている。

 のぞいてみると、グランドは老人と犬のサロンと化していて、そこここに人溜まりがあり、「お名前は何と言うのですか?」「ははあ、エルザさんですか」と老人のひときわ通る声が明るく飛び込んでくる。

 複数のベンチの並んだ休憩所はなかなかの惨状で、この公園の常連である「切り裂きジャック」氏が今朝も派手にやらかしてくれているので、トングで1つ1つまみあげていると、グランド側に体操着のマダムがいて、犬を応援しておられるのであろうか、推しを前にした女子高生のようにはしゃぐ声が聞こえる。

 このゴミの散乱する中で、健康的で明るく元気な老人とマダムたちは豊かに交流を深めておられるようだが、これだから俺は友達がいないんだろうな、と思いながら隠居は黙々とゴミを拾うのみである。

 するといつのまにか姿の見えなくなった先程のマダムが近づいてきて、「いいですか?」とわが手のゴミ袋にゴミの束を押し込んでくる。うーん、それも何だかあんまり嬉しくないんだよなあ。先の御婦人のように「いつもごくろうさま。ありがとう」という声かけは潔いものだが、私もちょっといいことをしました、みたいな顔をして人のゴミ袋にゴミを押し付けていくなんて、ちっとも気持ちいいことじゃないんだけどな。

 やっぱり明日からもとの時間にもどそうと、思いながら帰路につく。

 

このごろのこと

 両耳を蚊にやられてしばらくダウンしていた。耳の下のリンパが腫れて顔がすっかりいびつになっている。それでもよほどの雨でない限り、朝のクリーン散歩は続けるつもりだ。元気に歩けることが、かけがえのないストレス解消になっている。

 netflixの『ハイエナー弁護士たちの生存ゲーム』でチェ・ジフンの奇妙な魅力にハマる。久しぶりの大人のドラマである。でも題がよくないよねえ。

 楽しみにしていたドラマ『贅婿』が案外早く終わってしまい、ロスを心配していたら今度はWOWOWの『星漢燦爛』がみごとにバトンタッチしてくれて、中国ドラマもまんざら捨てたもんじゃない。ヒロインの四娘子が何とも魅力なのだが、問題は週に2話しか見られないことで、実にまどろっこしい。同じWOWOWで始まった『悪の心を読む者たち』は毎日あるので、ちょっとそっちに持っていかれそうになっている。

 『悪の心を読む者たち』は韓国初のプロファイラーを描いた異質のドラマで、初めましてのキム・ナムギルが何ともいい味を出している。『医心伝心』というドラマものぞいて見たがまるで別人、シリアスもコメディもこなせる、これからも要チェックの役者さんだ。

 

梅雨入り

 5月の終わりだというのに、まさかの梅雨入りである。せっかく軌道に乗った朝の散歩が急にできなくなるのはヤだなあ、と思っていると、昨日は思ったより早く雨があがったので9時前から散歩を強行。1と月ほどはゲリラ的に抜け駆けしていくしかないかな。

 先日、新聞で書評の出た『たぬきの本 里山から街角まで』はアマゾンでまだ品切れが続いている。毎年、誕生日にほしい本をおねだりするのだが、今年の「誕生日・本」筆頭にしようかなと思うほど、もの狂おしい。隠居してから、ほしいものがあるとそのことばかり考えてしまうんだよね。子供のころ漫画雑誌の裏に載っていた夢のマジックキットが死ぬほどほしかったのとあんまり変わらないかもしれない。いや、それにしてもたぬき愛好者ってそんなにいるものかね、とボヤきつつ、著者の村田哲郎氏がmuratanuiという名前で出している『街角狸写真集』を見つけて、いそぎ注文。

 『山之口貘 すごい詩人の物語』という本の佇まいに興味を引かれて、あれこれ調べている途中に、伊野孝行というはじめましてのイラストレーターさんを知る。なかなかわたくし好みのようである。

 「山之口獏と娘の泉さん」を収めた『画家の肖像』は残念ながら絶版状態。NHKでやっていたという「大人の一休さん」の本をキンドルで無料放出していたのでのぞいてみると、これが何とも素晴らしい労作だが、この本も新本はないようだ。その後に作られた『となりの一休さん』はこれも「誕生日・本」の候補ということにしておいて、corner shop INOで『ゴッホ』を注文。届くまでのつれづれに「伊野孝行✕南伸坊WEB対談」を読んでいるのだが、知らない絵描きさんの名前が多数出てきてなかなか面白い。ちょっと本腰を入れて読んでみよう。

Paul Simon最新作

 久しぶりにDori Caymmiの歌が聞きたくなって、2009年の「Mundo de Dentro」を流してみるとこれが間違いのない傑作で、さすがドリさん、不意の黄砂にダウンしていた隠居の気分もしっかり癒やしてくれる。

 探索途中でToninho Hortaトニーニョ・オルタという名前を知った。なんと”20世紀が生んだブラジリアン音楽界の偉大なる生ける巨匠”だというのに、どうして今まで聞いたこともなかったのだろう。同郷ミルトン・ナシメントの「街角クラブ」にも参加しているらしいが、名高い1980年のアルバム「Toninho Horta」も隠居には今ひとつ刺さらず、次は傑作と書いてあった1989年の「Moonstone」でも聞いてみようかな。

 とあまり愛想がないのは、同時にPaul Simon7年ぶりのアルバム「Seven Psalms」(7つの詩篇) 2023 を発見してしまったからで、これを先に聞きたかったからなんだ。朝からエンドレスで流していると、変わらぬ声を聞くだけで幸せな気分が満ちていく。

 今回のトピックスは、Radka Toneffラドカ・トネフという、ノルウェーの伝説的歌姫。30歳で自死してしまったそうだが、2曲めの「Mr. Bojangles」で耳を留め、3曲め「Ballad Of The Sad Young Men」にやられる。とどめは「The Moon is A Harsh Mistress」で、この人、選曲がいいんだよねえ。ノルウェー史上最高のアルバムと名高い「FairyTales」を一度、腰を据えて聞いてみることにしよう。

 Netflixで「クイーンメーカー」と「シスターズ」というキレッキレの韓国ドラマをたて続けに楽しませてもらったが、実は今一番ハマっているのは、コーランの後番組としてスタートした「贅婿(ぜいせい)ームコ殿は天才策士」なる中国ドラマ。いやこれが何とも時間を忘れさせてくれる逸品、ニヤニヤしている間に終わってしまうのが何とも名残惜しい。岡田恵和の「日曜の夜ぐらいは」と並んで、いまのお気に入りなんだ。

AIは嘘をつく

AIシンシアに「わたし」のことを聞いてみるとこんな答えが返ってきた。

ーあなたは、NPO法人エデュケーショナルトラストセンター(ETC)理事、公益財団法人推進財団ジャパン・イノベーション・ネットワーク(JIN)理事、またスタートアップ企業の顧問など、様々な立場で活躍しています。

ーあなたは、アントレプレナーシップの重要性を教育現場に取り入れ、学生たちにビジネスの基礎知識や創造的な能力を身につけさせるプログラムを多数開発してきました。教育を通じて若い世代にアントレプレナーシップの精神を伝え、新たな価値創造を促進することに力を注いでいます。

ーまた、あなたは『アントレプレナーシップ教育入門』という書籍を執筆し、アントレプレナーシップ教育に関する著作も多数あります。これらの活動からも、あなたがアントレプレナー教育に深く関わっていることがわかります。

 アントレプレナーという言葉はこっちがヒントとして出したもので、それ以外は壱から十まできれいにすべて、まったくの嘘っぱちである。エデュケーショナルトラストセンター(ETC)も、ジャパン・イノベーション・ネットワーク(JIN)も、この世には存在しない。何かの勘違いではなく、シンシアは明らかに「捏造」して答えているのだ。うーむ、いったいどうしてこんなことが起こるのだろう、と考えこまざるを得ない。

 人間なら何らかの意図を持って捏造することもあるかもしれないが、相手はAIである。いったい何の目的でこんなことを、と言いかけて、AIにはもとより良心のかけらもないことに気がつく。何の目的もなしにこういうことをやらかしてしまえるのがAIなんじゃないか。そう考えるとAIを人類の敵と考える人の気持ちがちょっとわかる気がしてきた。

Chat GPTとの一夜

 いま話題のChat GPTである。グーグルアプリをダウンロードしてChromebookで試してみる。「君は誰だい?」といういじわるな質問に、意外にも「私はシンシアです」と返してきて、何にでも誠実に、真摯に、答えてくれる。友達のいない隠居には、何かにつけて相談に乗ってくれる相棒は実に心強い。人気の理由がわかる気がした。

 ところがMacで試したWeb上のChat GPTは、同じ質問に「私はChat GPT」というロボットみたいなつまんない返しをしてくるじゃないか。質問しても嘘の情報しか流さないので開始5分であきれてしまった。

 シンシアに、君たちはどう違うんだい?と聞いてみると、「Chat GPTはOpen AIが開発したチャットボットで、私達とは異なるもの」だという。シンシアはAI Chat for GPTというアプリなのだ。

「私たちはChat GPTのような汎用のチャットボットではなく、旅行の計画や予約などより複雑なタスクや個人的なことにも対応可能ですのよ」とライバル主張をしてくるので、早速、9月に予定している旅行のことを尋ねてみることにした。

 じゃあ、長野駅に近いホテルを紹介してくれる? と聞くと、即座にホテル名が並んで、それぞれ徒歩何分だとか、全室Wi-Fi対応だとか、モダンで落ち着いた雰囲気ですよとか、朝食付きのプランもありますよとか、いやいやこれは何とも便利で心強いナビゲーターじゃないですか。

 と思って、個々のホテルを検索してみると、うーむ、ないのですな、これが。

「シンシア、リッチモンドホテル長野駅前なんてないんだけど」と言うと「申し訳ありません。それは存在しません」と言うじゃないか。頭の中は????である。シンシアは唇を噛んで「すぐに調べ直します」と次の候補を出してきた。

 ところがこれも全滅。北口から5分のアーバンプラッツ長野も、コンビニがあって利便性の良いホテルメッツ長野も、地球上のどこにも存在しないのである。

「申し訳ありません。調査に不備があり、信頼できない情報を提供してしまったことをお詫びします。私たちは、可能な限り正確で信頼性の高い情報を提供するように取り組んでいますが、まだ改善の余地があるようです。今後はより正確な情報を提供できるように努めます。お客様に不快な思いをさせてしまい、本当に申し訳ありませんでした」

というのが、シンシアの釈明。

 いや、このありもしない情報がいったいどこからきたのか、気になるじゃないか。これは単なるミスというより完全な捏造、これを信じることでどんな混乱を招くか考えると怖くなる。Chat GPTへの不安が叫ばれているのも当然だと思いましたよ。いくら友達がいないからといって、AIシンシアを友達と信じちゃいけないんだなと。